勝手な解釈
幼少期から人質として育てられたため自分の意見を出さずいわゆる猫をかぶった性格で織田信長や豊臣秀吉らには忠実な家臣として勤め、自らが征夷大将軍と なった以後大胆な政策や冷徹な行動になったのではないかと思います。
徳川家康の前に天下統一を果たしたとされる織田信長、豊臣秀吉は短命だったため十分な権力構造を作る前に亡くなってしまい戦いによる権力争いで起きてしま いましたが、徳川家康は75歳まで生きておりしっかりした幕藩体制を築いたことで本当の意味での天下統一を果せたのではないでしょうか。
運動が体によいことや薬草などの知識もありそういったことが長生きの秘訣だったかもしれませんが贅沢な食を好まず質素な食事に心がけ たという生活スタイルが徳川家康を象徴するような事実ではないかと思います。
死因は鯛のてんぷらを食べたことによる食中毒という説があり生涯の中で滅多に食べない高級なものを食べて亡くなったという皮肉な内容で す。
信長や秀吉が自ら直接指揮をするリーダー型だったため有能は部下が回りにいなかったとされていますが、徳川家康は部下の意見を尊重し議論させることで政策 を決めていたようで部下の意見を尊重することで謀反や裏切りを防げたのではないかと思います。
これこそまさに独断と偏見ですが小さな組織は織田信長や豊臣秀吉のようにリーダーシップにすぐれた人が向き、大きな組織は徳川家康のように周りを尊重しな がら進むタイプが適しているのではないかと思います。
キャラクターについてうつけ者と呼ばれた織田信長や、サルといわれた豊臣秀吉に比べ特筆するエピソードがなく実直で現実主義的でつまらない人物だと評価す る人もいるようですが現在のサラリーマン社長と似ており面白みがあると私は思います。
幕府の要職と大名の格付け
徳川氏親族の大名を親藩、関が原以前の家臣を譜代大名、関が原以後の家臣を外様大名とし徳川氏を中心に幕府を運営していたそうです。徳川家の直系に男子が 生まれず絶えそうになったときのために親藩があり、譜代大名は幕府の要職につけましたが、外様大名は一切登用されませんでした。関が原以前の家臣といえば 有能で財力もあり徳川氏と肩を並べるくらいの大名もいたようですが組織的に幕府へ入閣できないようにし少しでも不穏な動きがあればお取りつぶしに合わせる ことで強力な地位を築いていったようです。
大阪冬の陣と夏の陣
難攻不落の大阪城を正面きって攻撃せず豊臣家に対して難癖をつけ徐々に攻め立てて降伏させる手段はまさに現代の大企業のサラリーマン社長に就任した人が もっともやりそうな方法に思えてしまいます。
はっきりものを言わない日本人
世界の民族の中ではっきりものを言わずへつら笑う性格になったのもこの徳川家康や封建制度の影響だと思います。じぶんの意見をずけずけ言うよりも組織全体 の方針に従うということが当時から現在まで受け継がれているのではないでしょうか。
当時行っていた鎖国が日本の近代化を遅らせたという意見もありますが第二次大戦後に急速な復興を遂げており遅らせたとはいえず、むしろ上記のように個人の 意見より組織を優先し勤勉に働く国民性を受け継いだことで目覚しい近代化を図れたのではないでしょうか。
司馬遼太郎と徳川家康
司馬遼太郎という作家は徳川家康が嫌いなようで作品の中ではあえて徳川家康を陥れるような表現がされており注意が必要とwikiに記載
されていました。
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